【奈美の恋が終わったとき】B

(信仰を持たない彼女にはそこのところが理解できなかった)

彼は奈美に信仰を強制したりはしなかった。しかし、彼自身が信仰を棄てるつもりもなかった。結婚というものがしだいに現実味を帯びてくるにしたがって、彼女の前には信仰の問題が大きくのし掛かってきた。彼の家庭は両親を含めてみんな同じ宗教の信者であり、彼女だけが無信仰でいることはできそうになかった。

一方で、彼女の両親の方はその宗教を嫌っていた。特に父親の反対は頑強だった。

そうした中で、二人はついに別れてしまった。

彼は「お前は自分よりも父親を取ったのだ」と言う。本当にそうだろうか。確かに彼女は信仰を強要されたことはなかった。しかし、家族全員が同一宗教を信仰し、日常的に宗教儀式が行なわれている中で、信仰を持っていないものがそれに巻き込まれずに生活できるだろうか。それは入信してしまうほうがよほど楽なのではないだろうか。一連の話の中で、彼が彼女のために信仰を棄てるという可能性については一度も話題にならなかった。信仰しているものが、その信仰を棄てるということが容易ではないのはもちろんだが、彼女が家族の絆を切って入信するということがそれと同じくらいたいへんなのだということを彼はどれほど理解していたろうか。彼女が父親を選んだというのなら、彼は彼女よりも信仰を選んだのだ。それは、同じ信仰を持つものにとっては誇らしいことなのかも知れないが、私からはとても思いやりに欠けた行為に思える。なぜ彼女と同じ視点に立って考えてはくれなかったのか。形ばかりではなく、本当の意味で彼が彼女の視点に理解を示してくれていたら、何らかの解決方があったのではないかと思う。

それがたとえ、彼女の入信という形になったとしても、また、たとえ結果が別れになったとしても、彼が彼女と同じ視点に立ってくれたということで彼女も救われたのではないか。

信仰の自由という問題のとき、なぜ信仰しない自由というのが問題にならないのだろう。強制しないから自由だという、そんな単純なものではない。不信心者の何気ない一言が、信仰しているものを傷つけることがあるように、信仰している側では何でもないことが、信仰しないものにとっては大きな負担になることがある。ことに結婚などということが絡んでくると、それはとても深刻な問題になってくる。そのとき、信仰している側が信仰していない側と同じ視点に立って欲しい。信仰という高い位置から下りようともせず、不信心者を見下ろして、ここまで上って来いというような態度では何も解決しない。こういった問題が、信仰を持たない側の妥協や犠牲でしか解決できないのだとしたら、それこそ信仰の自由というのは何だったのかということになってしまうのではないか。

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