音部日記

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今も人々の心の中に、桃太郎の代。

こんにちはーー!!本日がついに最後の日記、ヨシノブでございます!!!
全てを書き終えた今、書き残したことがあるんじゃないかと心配で仕方ありません!!!(笑)


昨日は引退式でした🍑
涙でボロボロになっていた部員達……目の調子は大丈夫でしょうか…(そこじゃない)
私はあまり嬉し泣きとか、人前で涙を見せるタイプでは無いので、ボロボロになっている後輩を見て何と言って励ましてあげれば良いのかおろおろしてしまいましたヾ(・ω・`;)ノ

若いと涙も出やすいのかな?いや同級生も泣いてたしなぁ……ということは私は………?




さて!くだらない話もここまでにして、引退式では既に部員に伝えたいことをお話してあるので、ここからは私の音楽部での思い出を語らせて頂きたいと思いますね🍊



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音楽部員として所属していた間は、楽しかったことよりも、正直辛くて苦しかった時の方が時間が長かったような気がしますね。

まず1年生だった頃は、なかなか他の同級生と仲良くなることが出来ませんでした。誰ともなんの気兼ねも無く話せるようになったのは、やはり学年が上がってきてからでしょうか。
同級生のことを別に嫌いだと思ってるわけではなかったんですけど、必要最低限話せたら良いやくらいにしか見ていなかったので(というかそれより自分が歌上手くなることしか考えてなかった)、積極的に話しかけることはしなかったと思います。
でもやはりどの世界も甘くなくて、1年生の夏休みで初めて話し合いをやった時にそういう話(学年内での絆が浅いという内容)が出て、その時、自分は本当に居心地が悪くて…
どうして仲良くなりたいと自分が思わない人と仲良くする必要があるんだろう?とずっとモヤモヤしていました。それが例え良い合唱をつくるためだとしても、私は無理やり知らない人と馴れ合おうとする行為が苦手で嫌いだったので、自分は音楽部にいるべき存在ではない悪い奴だ、と思うようになりました。

しかしそんな想いを長い間抱えていたら、ついにみどり先生からお声がかかりました。
「最近顔が暗いけど、何かあったの?」と。

何もないわけがありません。自分は部活をやめた方がいいのだろうかと、悶々としていました。でも、先生に心を明かすほど私はまだ心を許していなかったということ、そして周りにたくさん同級生がいたということもあって「大丈夫です、何も無いです、すみません」と言ってしまいました。
あの時言えていたら、また違った未来があったのでしょうか…。

昨日みどり先生からお話があったように、私も指揮台に立つだけで分かってしまうほど暗い顔をしていたのでしょうね。
多大な心配をおかけしてしまったこと、今でも申し訳ないと思っています。



しかしそんな私が何故やめずに部活を続けられたかって、実は今の2年生が入部してくれたお陰だったりするんですよね。
今の2年生が1年生として音楽部に入部する頃、私はさすがに自分に喝を入れました。

「今の姿を後輩達に見せてもいいの?」

「音楽部にいてもいい存在になれるように頑張ればいい」

この自分で考えた二言は本当に効きました。
そう、音楽部を辞める勇気がないのなら、後輩達には自分の情けない姿を見せないようにしなくてはならないと思いまして…(強がりというか、意地っ張りというか…笑)。
後輩達に信頼される先輩になりたくて、挨拶や返事、その他もろもろ色々頑張り始めました。



そうしたら、少しずつ、本当に少しずつだけど同級生と仲良くなることができるようになって、どんどん部活が楽しくなっていって、幸せを掴めたような気がしました。



辛くて苦しかった思い出は他にも色々ありますが、どれもこれも今となってはコショウみたいに、口に入れた時はツンっとするけど、鼻から香りが抜けていって……ああ、美味しかった、ってなる思い出ばかりです。









そして色々な事情があって始まった、異例中の異例である4ヶ月間のパートリーダー。
自分で立候補した時も、仕事をやらせて頂けると決まった時も、私は「人生って何が起こるか分からないな」と思わずにはいられませんでした😌

私はそういう重要な役割を任されるような人間では無いし、ましてや立候補なんてしたことが無かったので、パーリーをやりたいという意志を3年生に表明するまでには少し時間がかかってしまいました。

そんなに考え抜いてまで何故、パーリーに立候補したかというと「部活に対する熱意を、パーリーの仕事で生かしたい」と思ったからなんですね。
実際仕事をしていても、熱意でどうにか乗り切ったようなところも正直いっぱいあるような気がします。
上手く指示が伝わらなくても、私の熱意で、皆を(特にSopさんを)笑顔にすることが出来たのではないかな。私は皆が笑ってくれる度に、パーリーに立候補して良かった、こんなにたくさんの笑顔が一目で見れる景色を独り占めできちゃうんだと幸せな気持ちに浸ることができました。



今こうして思い出を振り返ってみると、音楽部に入部できて良かった、いや松女に合格できて良かった、受験勉強を頑張れて良かったと心から思えます☺️
私は中学の頃から合唱部に所属し、合唱一筋で頑張ってきたので「高校ではもっと本気で上手になりたい!」という想いがありました。
でも私は本当に頭が悪くて……(笑) 初めて受けた北辰テストでは松女の合格率がまさかの20%で、諦めようかと思いましたね…😅
でもそこから何とか、親に教えて貰いながら少しずつ成績を伸ばしていって、偏差値の低かった教科は10近く上がり、入試前最後に受けた北辰テストでは松女合格率80%までもっていくことができました。




今までたくさん頑張って良かったです。
まさかこんなに幸せな未来が待っているとは思いもしませんでした。
音楽部、そして私に関わって下さった全ての皆様、本当にありがとうございました🙇‍♂️




みどり先生へ
引退まで本当にお世話になりました。
きっと、私の存在がみどり先生には一時期すごく頭を悩ませてしまっただろうと、とても申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でもこうして色々な仕事を重ねたことで、ほんの少しだけですが、1歩前進できた自分に誇りを持てています。
辛いことがあったら、みどり先生の笑顔を思い出して幸せを思い出そうと思います。
私はみどり先生と出会えて、とても幸せになれました。

寛先生へ
今まで本当にありがとうございました。
寛先生には、申し訳なくかつありがたいほどの回数、発声の度にお声をかけて、発声をお願いしました。でも普段何気なく教えて下さる発生方法も、アドバイスも、寛先生自身の壮絶な努力と苦労があったからこそ、より親身に教えて頂けているのだと思います。そう思うと、私は心の底から涙が出ます。
私はそんな努力家な寛先生を尊敬しています。

副顧問の先生方へ
今まで本当にありがとうございました。
私も知らないようなところで部員をよく見て下さったりしていて、公にならないところで部員の支えになっているであろう存在はやはり副顧問の先生方だと思います。
まさに「縁の下の力持ち」!!!
これからもその存在で、後輩達を支えてあげて欲しいです。


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さてさて!ヨシノブの正体は部員なら知っていると思いますが、他の日記係みたいにヒントとか出したいので、幼稚なヨシノブに最後までお付き合い下さい😂


ヒント

・今はすっかりSopの人ですが、実はMezも計1年以上経験していますヽ(‘ ∇‘ )ノ
特に春コンの時期、私が6パーのMez1だったことは誰の記憶にないと思いますね

・身長160cm超です。これ言うと何故か皆に「ええっ!?」と言われます(悲しい)

・今年の定演では混声ステージで司会を務めさせて頂きましたが、セリフが実は1つ飛んでて未だに泣いてます。。。(ピエール・ドラノエさぁああん)


ええ、一般の読者の皆様も、もうお分かりですよね。そうです。土曜日はソプラノパートリーダーのアクアでお送りしました✌️
私の日記は大変個性が強かったので、身内には1番誰か分かりやすかったのでは無いでしょうか?(笑)
皆さんどの文でアクアが書いてるのが分かったのか、教えてくれたら喜びます(笑)
あ〜あ、留年して改名して、土曜日続けようかな〜(コラ)。

ちなみにヨシノブという名前は、昨年の松女の課題曲と自由曲の作曲者のお名前からお取りしました。
昨年の全国大会では風邪を引いてしまい、万全な体調で声を出すことが出来なかったので来年は元気に歌いたい!という想いを込めて決めました😌
今年は無事、元気に歌いきることが出来て良かったです。




それでは、また”いつか”元気にお会いしましょう!!!



明日はまめえ!この代の最後、キッチリ締めておくれよ〜〜〜
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